4年目エンジニアがキャリアを振り返ってみた
どうも、クサカンシです(^-^)
今回はこれまでのキャリアの振り返りをしていきます!
感じたこと、学んだことなど、、、これまでの経験を振り返ります。
この記事を書き終えた後に、今後のキャリアの積み上げ方の方針が見えてくることを願いつつ、、、いざ、参る!
1.これまでのキャリアの振り返り
僕は文系出身エンジニアでして、学部は法学部でした。当時は公務員になりたいと思い法学部を選びました。公務員を選んだ理由は安直でして、将来が安定している、最低限賃金が貰える、職を失う心配がない、といった一生安泰なイメージに釣られて目指しました。
その後、就活時にモノづくりがしたい思いでIT業界を目指し、職場は家から近いところを選びました。およそ3年半過ごし、新卒で入社した会社は辞めました。辞めた理由は会社の事情で社内の雰囲気が悪くなっており、不満続発の環境にいるのが精神衛生上よろしくないと感じたためです。それに不満ばかりの環境から学べることはないと考え転職しました。さらにこの時、一生同じ会社にいることに疑問を感じており、転職自体に興味があったため決断したその日に転職エージェントを登録しました。
現在の会社に入社した理由は開発経験が積める、休暇がとれる、前職場から近いの3点でした。受託開発をしているとのことで開発経験が積めると考え入社しました。最初のジョブではがりがり開発したのですが、2つ目のジョブからは結合支援という名のテスターになってしまい、、、しかも期間が長いので正直だまされた感がありますね(笑)ただ休暇は好きにとれているのでその点は問題なしかと。そして前職場から近い(徒歩5分)ので、前職先輩とランチ・飲みに行くことができるので以前よりも前職場メンバーとは良好な関係を築けています(笑)
2.各時代の振り返り
1社目
<携わった業務>
・ESBパッケージ導入支援
・スクラッチ開発
・客先常駐
・新人教育
・社内研修講師
・ISMS推進者
・展示会プレゼンター
・HP掲載コラム執筆
・新卒採用イベント参加
・採用ホームページ社員インタビュー
・採用ホームページトップ写真
<感じたこと>
本業のシステム開発以外に採用や教育関連などの様々な業務に関わらせていただいたので、特別な経験が得られたり、社内の人脈が増えたりと忙しさ以上の役得が味わえてラッキーでした。
開発ではESBパッケージを使った作業が多く、スピーディかつ感覚的に開発が可能であるESBパッケージが大変気に入りました。頭の中のアイディアをすぐに実装に落とし込めるので、「開発の楽しさ」を体感できるいいツールだと思います。ESBパッケージを利用する場合は詳細設計書を書かない運用でしたので、スピード感があってSIerの業務イメージとは違いました。ただスキルがツールに依存するのでその点は不安でした。
本業以外では研修講師や採用イベント・展示会に出るなど登壇する機会をたくさん頂けていました。僕自身は童顔で圧迫感がまるでないので、こういったところに向いているのかなあ?と思っています。加えて人前で堂々とできる謎の自信があるので適任だったのだと思います(笑)個人で外部発信することはツールさえあれば可能ですが、社内のオフィシャルとして任せていただけたのはとても嬉しかったです。他部署の先輩に偉そうに技術を語るのはさすがに恐縮しましたが、それはそれで良い経験でした。
<苦悩しこと>
概ね楽しく働いていましたが、苦悩したこともありました。
まず、業務によって身につくスキルの市場価値が低いことです。これは転職活動をしていたときに痛烈に感じました。「僕、ESBパッケージできまっせ!」といっても「ESBってなんだっけ?」みたいな空気でした。ESBパッケージは優秀なツールであるもののエンジニアとしては言語のスキルの方が重要視されますので、同期がうなりながら開発している脇でサクサク開発しているのは「このままで大丈夫か」という悩みになりました。とはいえESBパッケージをやっていると開発スキルが身につかないかというとそうではなく、概念自体は同じなのでスクラッチの案件でも技術キャッチアップで困ったことはありません。むしろ言語の方がネットに情報が大量にあるので調査の難易度は低かった感覚です。パッケージはベンダーが用意したヘルプ資料か内部のナレッジしか頼れないので(笑)開発経験を積みたいという想いが転職理由の一つになりました。
講師や採用の活動は業務の合間で実施する必要があるので、業務調整が大変だったときもありました。あまり業務で忙しくしたことはないのですが、時々忙しい時期に講師などの依頼があると大変でした。講師はやりたい活動なので、忙しいからと断ることはなかったのですが、時間の折り合いをつけるのに苦労しました。業務に煮詰まった時の気分転換や、作業の切りがよいタイミングを見つけてちょこちょこ講師準備をするスキルが身についたかな、と思います。
2社目
<携わった業務>
PL
顧客との折衝
スケジュール管理
スクラッチ開発
社内勉強会開催
AIプロジェクト
<感じたこと>
業務と有志の勉強会の両方に参加することができているので、いい意味で忙しくできています。
業務では入社早々にも関わらずPLを任せていただけたことは非常に良い経験になりました。初のPL経験だったこともあり顧客との折衝やメンバーのスケジュール管理で悪戦苦闘しましたが、終わったあとは数字で管理・把握する能力やメンバー間でのコミュニケーションの重要性に気づくなどの学びが得られました。リーダーの経験を通してチームプレーの難しさを再認識したと同時に仲間を頼もしいと思える良い経験をしました。中でもメンバーに「この案件終わったらXXXが超できるようになってそう」が口癖の方がいらっしゃって、JOBの後で自分がどう変化しているかに目を向けている姿はとても刺激になりました。その後のJOBではまた開発から遠ざかり(笑)結合テストの支援として最新のソースの結合環境での疎通確認とシナリオ・データの作成に携わりました。結合フェーズからの参加であり他人が書いたソースを読み解く作業が続いたため、ある意味開発よりも理解力を問われて大変でした。その分ソースを追う能力は身についたと思います。
有志の勉強会では会社で企画されているAIプロジェクトへの参加と、内部での定例会議で個人的にLTをさせてもらっています。AIプロジェクトは15名ほどの活動で機械学習の知識・技術を習得して新規ビジネスにつなげるミッションがあります。僕は機械学習のもつ革新の可能性に魅了されておりまして、個人的に事例集を読んだりAIとビジネスについて書かれている書籍を読んだりしていたのですが、それだけでは表面的な知識習得にしかならないと感じていたため、AIプロジェクトに参加し手を動かす技術習得をしようと考えました。現状MNISTをやっただけですが(笑)ただ、こういった環境に身を置けたことで自然と耳に入る情報も多くなり、メリットを感じています。定例会議でのLTはテーマはざっくばらんでメンバーに共有したいことを話しています。この活動自体が評価の対象に入っているので、LTスキルアップと評価面の2面において得しており嬉しい環境です。
<苦悩したこと>
初めての転職だったので、会社生活面で苦労はありました。プリンターの使い方がわからないとか(笑)
業務においてはPLを担当した案件で非常に苦労しました。既存システムの理解、顧客との折衝この2点で苦労しました。このJOBは既存システムへの機能追加だったので、既存システムへの理解が必須だったのですが、相当古いものらしく全様を知っているメンバーが社内にはいない状況かつ資料とコメントが一切ないので、手探りでの調査・理解が大変でした。聞くことを惜しまずにメンバーや顧客にも相談した結果、メンバーでも知りえない既存システムの仕様までも理解することができました。
特に顧客との折衝は非常に苦労しました。僕が参画した時点でWBSが作成済みであり、そこでは詳細設計の作成からタスクが始まっていました。しかし実際にJOBがスタートした後に上司と顧客で要件に対する認識がズレてることが発覚しました。要件のすり合わせを急遽することになりスケジュールを圧迫し、その後の開発では残業続きになりました。また顧客としても具体的な完成イメージができておらず、それを言語化・図式化するための資料作成に大きく時間を使いました。しかし、顧客は業務プロセス図を見たことがなかったらしく、やや作り損でした。そうして僕は本来のタスクを先送りにし、顧客対応をしているうちに残業まみれになりました(笑)
精神的につらいことは朝9時にスーツを着て出社すること。なぜスーツなのか?スーツはかっこいいしオシャレだから好き。でも強制してほしくはない。朝9時に遅刻することはないし、ちゃんと朝ご飯も食べていける。でも強制してほしくはない。朝9時台はぼーっとしちゃってほぼ働けていない。ルールに従わせることは組織運営の負担を減らせるのかもしれないけど、きっかりしすぎているのは僕にはちょっと合わないかもと感じます。組織の一員なのでカルチャーにはある程度コミットしますが、自分の価値観も大事にしたいのでこの辺りは苦悩します。入社時に了承したことではありますが、体感すると身をもって味わえました。選択の余地がないことの窮屈感ってやつですかね。
3.ターニングポイント
今のキャリアにつながるターニングポイントを紹介します。
手話との出会い
手話からはプレゼンスキルと、なにより「個性の尊重」を学びました。
大学1年生のとき手話表現の多様性に魅力を感じ、大学4年間手話の外部講座に参加しました。登壇に通ずる手話の振る舞いを学び、表情・身振り・間の取り方を身に着け、ゼミのプレゼンでお褒めをいただけるようになりました。
手話講座に参加して感じた最大のメリットはろう者や盲者、LGBTなど様々な境遇の方々と出会うことができたことです。どの方も口を揃えて言うことは「聞こえないことは個性」だということです。社会が健常者と呼ばれる人に合わせて作られているだけで、そこに合わないからと「障害者」のレッテルを貼っていることに気づき、自分が恥ずかしくなりました。違いを認めてお互いを尊重することを学びました。
配属先での恩師との出会い
新卒で入社した会社で、僕の配属先は"ハズレ"だと噂されていました。外出が多く、上司は厳しいと。実際に配属されると噂は合っていましたが、"ハズレ"ではありませんでした。先輩は厳しくも人格者であり、上司は僕の個性や能力を見抜いてくれていました。社会人としてエンジニアとしての基礎と僕自身の特技を見出してくれた"大当たり"の部署でした。
初めての案件で一緒になったIMTさんから仕事の進め方やお作法を学ぶ
この時一緒だったIMTさんはベテランさんで、教育担当者ではないものの親身に面倒を見ていただきました。まずは僕一人にやらせて悩ませる、そのあとに何が疑問かを聞いてくださり思考を深堀していただきました。
学び
・エラー解決手順:ヘルプを確認>googleで検索
・休暇取得手順:IMTさんに相談>顧客へ連絡>上司に連絡
・常駐時の作法:常駐開始時と撤収時に顧客メンバーに挨拶に行くこと
印象の悪い所作は控えること
あちこち歩きまわらないこと
・ランチの誘い方:昼、、、いきますか!(相手を見つつ)
丸投げクライアントとの仕事でKYHRさんから仕事の線引きを学ぶ
これは社内システムの構築で完全に内部の仕事でしたが、クライアントの部署のスタンスが「丸投げ」だったのです。仕様の相談をしても「なぜそんなことを聞くんですか?」と高圧的に接されて心が折れそうでしたが、KYHRさんが作業に線引きをし、両者のタスクを明確にしてくださったことで助かりました。
レビューの多いクライアントとの仕事でWDさんから見せ方を学ぶ
他部署の応援に入った際レビューの数の多さに驚きました。全部で4段階のレビューでした。1:僕の先輩>2:他部署の同じチーム>3:他部署のPL>4:クライアント。このとき一緒だった先輩のWDさんは他人が理解しやすいコードやドキュメントのノウハウを授けてくださいました。
学び
・ドキュメントは体裁にこだわること。
パッと見がきれいなドキュメントは信頼され、指摘も優しくなる。
⇒図の位置やインデント、目が痛くない色使い、俯瞰しやすい体裁
・ソースには詳細にコメントを残すこと。
処理の意図や仕様上のどこの部分かを明確にすることで他人が読みやすい。
・ソースは体裁を綺麗にすること。
⇒見切れないように改行、半角スペースの数を合わせる
自身が中心メンバーとなった仕事でSKMTさんから顧客との付き合い方を学ぶ
新人のときに参画したESBパッケージでの開発案件は準委任だったので3ヶ月で撤退したのですが、その案件に1年越しに参画しました。僕は技術の中心としてアサインされ、顧客に対して技術のアドバイスをする立場でした。その際薄く入っていたSKMTさんがコミュ力おばけだったので顧客と仲良くなるノウハウを盗みました。
学び
・顧客の趣味を探り、やってみる
・素直と笑顔が基本
・モテ仕草の「さしすせそ」
・困りそう、困ってることをこちらからキャッチアップする
普段の交流の中でSKRIさんから後輩との接し方を学ぶ
多くの先輩に可愛がってもらいましたが、SKRIさんは特に僕のことを気にかけてくだささいました。いつも「悩みがあったら言ってね」と声をかけてくださり必ず僕の意見に共感をしめしてくれて、自分を見失わずに過ごせたのはこの方のお陰でした。
学び
・用事がなくても軽く声をかける
・相手を否定しない。特にスキル。
・無理に強いはしない絶対
・成長はきちんと褒める
顧客から成長を褒められる
この経験は今までの自分の努力の仕方を肯定してくれた大切な経験です。この顧客は新人のときに3ヶ月だけ関わり、その後一年越しに再度ご担当させていただいた現場でした。営業さんから聞いた話では一年越しに提案した際、顧客は僕の名前を見て難色を示したそうです。「去年の新人の子だよね、頼りないかなぁ」といった意見を頂いたようですが、僕の上司と営業さんが太鼓判を押してくださったのでアサインが決まりました。現場に入り作業を始めると顧客から「ほんとに去年の新人の子?何があったの!?」と驚きとともに成長をお褒めいただき、「うちの会社こない?(笑)」とまで言っていただけました。一年間苦労してきたことが報われ、この業界で頑張りたいと思えた経験になりました。
講師・登壇者として抜擢
業務外の活動として講師とプレゼンターを担当していました。
講師業では社内の若手および新人に対する技術研修を実施していました。研修の企画段階で講師役は社内で公募されており、業経験が豊富であることが求められていました。当時僕は2年目でしたが、上司が僕を推薦してくださったことで抜擢されました。研修は好評で終了し、継続して僕が講師を担当することとなりました。フィードバックで好評の理由は僕の明るい振る舞いで場が砕けたことと、ファシリテーターとして受講生の意見とベテラン講師の意見を引き出せたことにありました(講師は2名体制)。受講生の意見を要約し、自分の意見を添えつつベテラン講師に該当する経験があるか訊ねるといった手法をとっていました。
プレゼンター業は部内オーディションで勝ち上がって抜擢されました。部署が抱えていたサービスを展示会で紹介するためのプレゼンターを部内オーディションで決定しました。僕が評価いただいた点は堂々とした声とジェスチャー、表情や抑揚での表現力でした。やや早口だったという指摘もありましたが、概ね好評であったため、3度の外部での登壇とWEBセミナーを一つ作成しました。特技を評価してくれたことと、自力で役割を勝ち得たこの成功体験が今も自己肯定感を維持してくれています。
コラムニストとして抜擢
会社ホームページに掲載する販促コラムの執筆を担当した経験があります。抜擢の経緯は対象のサービスについてのプレゼン経験があったため、サービスに理解のある僕に白羽の矢がたちました。僕自身、法学部出身で論文を書く機会が多く文章になれていたので引き受けました。書き上がったコラムは社内で非常に好評を頂き社長からお褒め頂きました。上司2名による添削でも、指摘はすくなく、読みやすい文章と評価頂きました。特にサービスの柔軟性を表現するにあたって「柳に雪折れなし」を引用した表現がおじさん方に刺さったようでした。僕をプレゼンやコラムに抜擢してくださった上司は僕を「抽象化する能力が高い」と評価してくださいました。
尊敬する先輩の転職
僕が転職を意識するようになったきっかけは尊敬する先輩の転職でした。この先輩が転職するまで僕が入社して3年間転職をしている方が身近にいなかったため、転職という選択肢そのものに気付いていませんでした。先輩の転職をきっかけに僕もキャリアの振り返りやこの先の展望を一度考えました。それまで目の前の仕事に集中してきたので、振り返る良いきっかけになりました。当時僕は会社のメンバーが好きで仕事も上手くいっていましたが、マンネリ感を感じていました。不満はそれほどないが、新しい出会いや挑戦をしたいという想いがある中、先輩の転職情報が耳に入り自分も転職を志しました。転職先はすぐに決まり、決め手はスキルギャップが少ない、勤務地が見知った土地(前職場から徒歩圏内)でした。
辛いと感じたPL経験
転職して初めてPL経験を得ました。配属早々にPLを担当させてもらい、いい経験になるだろうと意気揚々としていました。実際に学ぶことの多い案件でしたが、最も心に刻まれたことは顧客との折衝はコミュ力では解決できないということ。僕はコミュ力にはある程度自信がありましたし、今までも顧客との会話で困ったことはありませんでした。しかしPLで必要なのは調整能力であり、情に流されないビジネスライクな付き合いが求められます。またチームメンバーに対しても指示をする立場であったため、チームにおいてもビジネスライクな関係が必要でした。僕の性格上、相手の気持ちに寄り添って共感することが多いのでこういった指示を出したり、工数や技術面で要件をお断りすることで相手に不快感を抱かせると思うと何より精神的に辛い経験となりました。昔から顔色を伺うような子供だったので不調和が何より苦手でして、それを今になって感じます。なので指揮命令は僕は控えたいと思いました。
※自己犠牲のイエスマンではありません。
4.仕事・職場に求めているもの
仕事(会社)は人生を豊かにするためのものであり、仕事のために人生を消耗してはいけない。というのが僕の仕事観です。要は仕事を理由に人生に制限をかけたくないということです。例えば早朝に出勤する必要があるので家族と朝御飯を食べれない、といったことをしたくないのです。
仕事(職場)に求めるものは次の通りです。
・生活を安定させる収入
・勉強になる資産(人)
・使い放題の資産(物)
・挑戦できる資産(金)
・課題・目的意識をもったチーム活動
⇒継続的に自己啓発を行いつつ、ポジティブなメンバーと仕事をしたい。
5.IT業界を志望した理由
僕がIT業界を選んだポイントは「ものづくりができる」という点です。
ものづくりが好きな理由は大きく二つあり、祖父とブロック遊びが関係しています。
僕はおじいちゃん子で祖父は山仕事をしているのですが、その祖父と工作をしたときの感動がものづくりへの興味に繋がりました。当時小学生5年生のとき、祖父が山に設置するために作っている雀の巣作りを手伝いました。完成し、設置すると自分が手掛けた巣に雀が入っており、クサカンシ少年は大いに感動しました。「僕が作ったものが喜ばれている!」そう感じました。それ以降僕の将来の夢は大工になることでした。
また幼少の頃からブロック遊びが大好きなクサカンシ少年は好きなアニメのキャラクターをブロックで再現し、おもちゃを買って貰えなくても持ち前の工夫と想像力で欲しいものは自作していました。
こういった過去の経験から、ものづくりのやりがいと可能性を感じており現代のものづくりたるITエンジニアになりました。
また、ものづくりにおいて重視している価値観は利用者の笑顔を想像することです。これは自分用に作っても同じことで、人のためにつくるモノにこそ価値があり、そうでないものはガラクタを押し付けてるようなものだと思います。なので、愛されるサービスを開発していくことがこれからの目標になります。
6.おわりに
僕はとても恵まれてきたんだなぁ、と思いました。自分のスキルを悲観したことは何度もあるけど、これまでの経験や出会いを否定したことはないことに気付きました。ほんとに多くの方々に良くしていただいたおかげで、今もポジティブに頑張れています。関わってくださる皆様に僕からもハッピーを提供できてれば嬉しいなぁ、これまでの出会いと未来に乾杯!